加太春日神社 
  かだかすがじんじゃ       
〒640-0103
和歌山県和歌山市加太1342
TEL
 
御由緒書
御由緒・御祭神   

御由緒
加太春日神社の創建は「紀伊国造家旧記」によると、天道根命が2種の神宝を奉じて加太浦に上陸し、頓宮を造営して天照大御神を祀ったことに始まるという。 のち、氏子の航海安全と大漁を祈願して、住吉大神を合祀したらしく、文保元年(1317)「住吉社寄状」が向井家文書にある。さらに、藤原がこの地の地頭となったとは、その祖先神である春日三神を合祀して以来、総名として春日社と称したといわれ、嘉吉2年(1442)「春日明神神事日記」がある。現在の一間社流造の本殿は、棟札(重文)によると、慶長元年(1556)に桑山修理亮正栄が、現在地移遷再建したもので、各種の彫刻の他、雄大・豪健でよく桃山時代の特色をあらわしているとして、昭和6年国宝に指定され、現在は国指定の重要文化財として保存されている。当神社は氏子の当屋制によって維持されたもので、神職がおらず、記録文書類は全然存在しないため、他からの資料に頼らざるを得ないが、「紀伊続風土記」にある「粟島社の摂社にして」の記事などその拠り所は不明である。 とにかく当時の紀伊国の領主ともいうべき桑山修理亮によって再建されるにはそれ相当の理由があり、尊崇の篤かった神社であると考えられる。 また役小角が行場として友ケ島を開いたとき、当神社を守護神とされたため、毎年4月20日に聖護院門跡が、山伏僧とともに参拝されている。 なお、昭和56年度第23回自然公園大会には採火神社に指定され、聖火を献火するとともに、氏子有志による獅子舞が郷土芸能として参加、披露された。

御祭神
《主》天児屋根大神、武甕槌大神、経津主大神、天照大御神、住吉大神



現地調査報告   



現地調査日 平成 年 月 日
平成 年 月 日作成 皇學館大学神道学科

  
  
  
→神社由緒  →周辺案内  →境内案内